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あたりまえだが人生は無限ではない・・。

先週木曜日に

義母、つまりカミさんのお母さんが永眠した

不治の病が発覚してから残された時間は

決して長いものではなかった

身近な存在である人の死に接したことで僕自身もいろんなことを思い

考えをめぐらせた



もう四半世紀以上前になるけど初めて義母と対面したときのこと・・

突然カミさんに連れられてきたどこの馬の骨ともわからぬ自分を

温かく受け入れてくれた

カミさんが事前にどんな説明をしていたのかわからないが

初対面の時すでに生前のちょっと前の普段の接し方と変わらぬほど

親しみをもって迎えてもらえたことが今も印象に残っている

初めての義父との対面も表向きは穏やかなものだった

父親というのは娘が連れてくる男に拒絶反応を示すものだが

多分お母さんが万事上手くやってくれたのだろう



昨今あまりにも理不尽で胸が締め付けられるような

突然の事故や事件での死というものが一方ではある



しかし、あまりにも身近な人の病死に接して思ったのは

いわゆる病死でもやはり無念の死というのは存在するということ



義理の母はすい臓がんであることが2月ころ発覚し

その時点で半年は難しいという告知であった

そこから本人は非現実的であり、しかし超現実的な

自分の死というものに否が応でも立ち向かわなくてはならなくなった

他人の死ではなく自分自身の死がすぐそこまでやってきている

そしてこうしている間にも確実に残された時間は減り続ける・・

そんな事を受け入れるのは

相当に残酷な状況なのだ

自分があと少しで無になってしまうということを

静かに受け入れることより

死というものへの恐怖や痛みとの格闘で精一杯なのではないかと思う



人間寿命があるのは物理的に誰しも頭で判っている

しかしそれはただほとんどの場合『判っているつもり』なのだろうと思う。

普段はほとんど潜在意識のなかに潜んでいて実感できないで生活している



そんななか突然告げられるシリアスな死の宣告

自分の身に置き換え想像してみると

告知を受けた瞬間に間違いなくうろたえ、なげき

そして死に体になってしまうだろう

冷静な思考や人間としての尊厳を最後の1秒までキープするなんていうことは

自分にはまったく自信がない。




義母は逝ってしまう少し前に自分にも少しだけ無念な気持を吐露した

何気なくつぶやくように、

おだやかにフっと、

もう少し生きたかったねぇ・・

あの人(義父)を残していくのが心配




義母という身近な人の死でいろいろな事を考えさせられたし

物事を先延ばしにせず今を生きていくということが

どんなに大切かを思い知らされた



逝く人はここに残る僕らに究極のメッセージを残していく

もったいない生き方をするな!・・・と

この世で生きていく人に厳しい注文を突きつけている


















・・・そして気がついたのが

精一杯生きるということは究極のエコロジーなのだなぁということ。






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